故郷(魯迅著 光文社文庫)
先日、魯迅の短編集(故郷/阿Q正伝)の中で、特に琴線に触れた阿Q正伝を紹介させて頂きました。
★阿Q正伝の紹介
https://blog.hatena.ne.jp/maymm/maymm.hatenablog.com/edit?entry=4207112889919661076
ただ、その中の「故郷」については、国語の教科書に掲載されていることもあり、取りあげるのに躊躇したものの、「一度読んだ本を、齢を重ねて再読すると感じるものがあるな」と強く思ったため、改めてですが紹介したいと思います。
(圧倒的に本短編集の中でもメッセージ性が強い点、私個人にはグサッときた点も鑑みて、、)
本書は、ボリュームも多くないため、特に「昔、親友と言えるくらい仲がいい友がいた方」「現在、子供がいる方」は、特に今一度読んでみることをお勧めします。
間違いなく、響くものがあります。
恐らく、国語の教科書に掲載されていた意図も、高校時代の若輩に「希望」の在り方について分かってもらおうという意図も半分はありつつ、「年を重ねた後にふと、思い出してくれれば」という、そんな想いを込めて選択されたのかな、と今になると思います。
★あらすじ
かつて地主であった(富裕層の)一族の主人公が20年ぶりに故郷に帰ることになったものの、描いていた美しい土地、美しい幼馴染の閏土との想い出は、色あせて荒んだ現実として対面することとなる。
★所感① 「再開」について
本書で有名なのは後述する「希望」について述べて文言と思いますが、30歳を超えた今、読んでみてストレートに身に染みたのは、主人公と幼馴染の閏土の20年ぶりの再会となった場面を表した下記の文章です。
どうしてこうなってしまった、、と頭を抱えたくなると同時に、「身分」という当時の中国で色濃い隔たり、現代においても濃い「時の隔たり」を残酷なほどに表現している文章だと思います。
「再開」というものの残酷さを、これ以上にストレートに表現することは困難なのではないかというくらいに、絶望的で息が詰まる文章です。
僕はこのときうれしさのあまり、何と言ってよいのかわからず、ひとことこう言った。
「わあ!閏兄ちゃん いらっしゃい・・」
続けて話したいことが山ほど、次々と湧き出てきた。角鶏、跳び魚、貝殻、チャー・・・
しかし何かに邪魔されているようで、頭のなかをグルグル駆けめぐるばかり、言葉にならないのだ。
立ちつくす彼の顔には、喜びと寂しさの色が入り交じり、唇は動いたものの、声にならない。やがて彼の態度は恭しいものとなり、はっきり僕をこう呼んだのだ。
「旦那様!・・・」
僕は身震いしたのではないか。僕にもわかった、二人のあいだはすでに悲しい厚い壁で隔てられているのだ。僕にも言葉が出てこなかった。
★所感② 「希望」について
当時の社会情勢や革命といった背景を抜きにしても、「希望」の在り方について、現状に対してはシニカルでありつつ、温かく描かれています。
次の世代の人間に対しての希望、併せて「切り開くこと」その後の道程を固めていく積み重ねの必要性、といった言わば「未来」の在り方について、ここまで奇麗にまとめた文章はないのではないかと思うくらい、ビビッドな文章です。
※下記は略だらけなので、できれば改めて本文を読んでいただければと思います。
〇主人公と幼馴染の閏土の子供同士の対面を踏まえて。。
(略)
僕のように苦しみのあまりのたうちまわって生きることを望まないし、彼らが閏土のように苦しみのあまり無感覚になって生きることも望まず、そして彼らがほかの人のように苦しみのあまり身勝手に生きることも望まない。
彼らは、新しい人生を生きぶべきだ、僕らが味わったことのない人生を。
(略)
僕が秘かに苦笑さえしたのは、彼はいつも偶像を崇拝していて、それを片時も忘れないと思ったからだ。
いま僕の考えている希望も、僕の手製の偶像なのではあるまいか。
ただ彼の願いは身近で、僕の願いは遥か遠いのだ。
(略)
希望とは、本来あるとも言えないし、ないとも言えない。
これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。
■おすすめ度
★★★★★
特に25歳以上の方、「昔、親友と言えるくらい仲がいい友がいた方」「現在、子供がいる方」、、とは言わず、一度読んだすべての方に再読をお勧めします。
昔読んだ本と、齢を重ねてから読む本の味の違いに気が付かせてくれる一冊だと思います。