傲慢と善良(辻村深月 著)
大きな括りでは恋愛小説(もしくは婚活小説)のジャンルに位置づけられる長編で、人間の内面描写を醜い部分も含めて細かく細かく描写した本書。
恋愛や婚活に関するドラマは漫画、テレビ、映画等の様々なコンテンツで楽しめますが、ここまで心理描写を細かく砕いて表現できるのは活字、すなわち本だけなのかなと思い、改めて読書の醍醐味を再認識させてくれた一冊です。
著者の辻村深月さんは多様なジャンルの小説を出していますが、個人的には「鍵のない夢を見る」「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」といった、閉塞感や内面描写にフォーカスした作品が特に好きであり、本書も心を打つものでした。
★あらすじ
東京、群馬等を舞台とした、30代後半の婚約直前のカップルの話。
婚約者の坂庭真美が姿を消し、西澤架は彼女の居場所を探す。
失踪した真実を追い求める過程で、「婚活・結婚とは」「彼女の過去」「人間の傲慢性と善良性について」といった諸々の気づきを経ながら物語は進行していく。
★所感① 婚活の残酷な側面 及び「ピンとこない」とは何か
本書のテーマの一つが「婚活」なのですが、そのシビア・残酷な側面が本書では浮き彫りにされており、改めて身をつまされる想いがしました。
細かくは触れませんが、恋愛において俗に言う「ピンとこない」について、本書では下記のように詳述されています。
改めて明文化されると、値踏みをオブラートに表現しているだけなのでは、という気さえしてしまいました。。
(以下、本書より抜粋)
「値段、という言い方が悪ければ、点数と言い換えてもいいかもしれません。その人が無意識に自分はいくら、何点とつけた点数に見合う相手が来なければ、人は"ピンとこない"と言います。-私の価値はこんなに低くない。もっと高い相手でなければ、私の値段とは釣り合わない」
(中略)
「ささやかな幸せを望むだけ、と言いながら、皆さん、ご自分につけていらっしゃる値段は相当お高いですよ。ピントくる、こないの感覚は、相手を鏡のようにして見る、皆さんご自身の評価額なんです」
★所感② 「傲慢」と「善良」の概念性
本書を通して一番の気づきは「傲慢」と「善良」が、一人の人間の中で並立し得る概念という部分でした。
(なお、本書でたびたび表現される「善良」は決してポジティブな意味合いではなく、悪い意味での素直さ・真面目さ・要領の悪さ、といったニュアンスが近いです)
また、双方ともに無自覚に他社を傷つける性質であると感じたため、自分にもそのような要素があることを、これからは自覚して行動しなければ、、と思いました。
★所感③ 共感ポイントの多さ
本書を読んで、(部分的にでも)どこかしらの描写に共感する読者は多いのではないかと思います。
理由としては、主人公2人以外にも多彩な登場人物が出てきており、その一人一人が細かく内面・行動描写が切り取られているため、読者はその内の誰かしらから共感ポイントを見出すのではないかと思われるためです。
そのため読後の共感ポイントは読者によって違うと思われることから、他者の感想も気になった一冊です。
■おすすめ度
★★★★★
どちらかというと明るくて爽快な作品というよりは、ウェットな描写が多いため、好みは分かれるかもしれませんが、個人的にはとても面白い一冊でした。
故郷(魯迅著 光文社文庫)
先日、魯迅の短編集(故郷/阿Q正伝)の中で、特に琴線に触れた阿Q正伝を紹介させて頂きました。
★阿Q正伝の紹介
https://blog.hatena.ne.jp/maymm/maymm.hatenablog.com/edit?entry=4207112889919661076
ただ、その中の「故郷」については、国語の教科書に掲載されていることもあり、取りあげるのに躊躇したものの、「一度読んだ本を、齢を重ねて再読すると感じるものがあるな」と強く思ったため、改めてですが紹介したいと思います。
(圧倒的に本短編集の中でもメッセージ性が強い点、私個人にはグサッときた点も鑑みて、、)
本書は、ボリュームも多くないため、特に「昔、親友と言えるくらい仲がいい友がいた方」「現在、子供がいる方」は、特に今一度読んでみることをお勧めします。
間違いなく、響くものがあります。
恐らく、国語の教科書に掲載されていた意図も、高校時代の若輩に「希望」の在り方について分かってもらおうという意図も半分はありつつ、「年を重ねた後にふと、思い出してくれれば」という、そんな想いを込めて選択されたのかな、と今になると思います。
★あらすじ
かつて地主であった(富裕層の)一族の主人公が20年ぶりに故郷に帰ることになったものの、描いていた美しい土地、美しい幼馴染の閏土との想い出は、色あせて荒んだ現実として対面することとなる。
★所感① 「再開」について
本書で有名なのは後述する「希望」について述べて文言と思いますが、30歳を超えた今、読んでみてストレートに身に染みたのは、主人公と幼馴染の閏土の20年ぶりの再会となった場面を表した下記の文章です。
どうしてこうなってしまった、、と頭を抱えたくなると同時に、「身分」という当時の中国で色濃い隔たり、現代においても濃い「時の隔たり」を残酷なほどに表現している文章だと思います。
「再開」というものの残酷さを、これ以上にストレートに表現することは困難なのではないかというくらいに、絶望的で息が詰まる文章です。
僕はこのときうれしさのあまり、何と言ってよいのかわからず、ひとことこう言った。
「わあ!閏兄ちゃん いらっしゃい・・」
続けて話したいことが山ほど、次々と湧き出てきた。角鶏、跳び魚、貝殻、チャー・・・
しかし何かに邪魔されているようで、頭のなかをグルグル駆けめぐるばかり、言葉にならないのだ。
立ちつくす彼の顔には、喜びと寂しさの色が入り交じり、唇は動いたものの、声にならない。やがて彼の態度は恭しいものとなり、はっきり僕をこう呼んだのだ。
「旦那様!・・・」
僕は身震いしたのではないか。僕にもわかった、二人のあいだはすでに悲しい厚い壁で隔てられているのだ。僕にも言葉が出てこなかった。
★所感② 「希望」について
当時の社会情勢や革命といった背景を抜きにしても、「希望」の在り方について、現状に対してはシニカルでありつつ、温かく描かれています。
次の世代の人間に対しての希望、併せて「切り開くこと」その後の道程を固めていく積み重ねの必要性、といった言わば「未来」の在り方について、ここまで奇麗にまとめた文章はないのではないかと思うくらい、ビビッドな文章です。
※下記は略だらけなので、できれば改めて本文を読んでいただければと思います。
〇主人公と幼馴染の閏土の子供同士の対面を踏まえて。。
(略)
僕のように苦しみのあまりのたうちまわって生きることを望まないし、彼らが閏土のように苦しみのあまり無感覚になって生きることも望まず、そして彼らがほかの人のように苦しみのあまり身勝手に生きることも望まない。
彼らは、新しい人生を生きぶべきだ、僕らが味わったことのない人生を。
(略)
僕が秘かに苦笑さえしたのは、彼はいつも偶像を崇拝していて、それを片時も忘れないと思ったからだ。
いま僕の考えている希望も、僕の手製の偶像なのではあるまいか。
ただ彼の願いは身近で、僕の願いは遥か遠いのだ。
(略)
希望とは、本来あるとも言えないし、ないとも言えない。
これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。
■おすすめ度
★★★★★
特に25歳以上の方、「昔、親友と言えるくらい仲がいい友がいた方」「現在、子供がいる方」、、とは言わず、一度読んだすべての方に再読をお勧めします。
昔読んだ本と、齢を重ねてから読む本の味の違いに気が付かせてくれる一冊だと思います。
エレンディラ(ガブリエル.ガルシア=マルケス著)
南米コロンビアを舞台とした短編集で、「大人のための残酷な童話」として書かれた本書。
「幻想的で奇妙なモチーフ」「匂ってくるよう南米風土の描写」がとても強烈で、インパクトのある一冊でした。
■幻想的で奇妙なモチーフ
どの短編にも、超現実的な奇妙かつ癖のあるキャラクターやモチーフが登場し、周囲の人々を魅了する話もあれば、罰を受ける話もあります。
各短編集のモチーフを具体的に書き連ねると、ざっくり以下の通りです。
・大きな翼の生えているみすぼらしい老人
・薔薇の匂いを放つ海
・美しさで魅了する水死体
・死亡時期が見えている上院議員
・幻の幽霊船
・奇跡をうたうインチキ行商人
・緑色の血を流す残酷な祖母と、その美しい孫娘
どんな話が始まって、どんな結末を迎えるのか、全く想像がつかないようなモチーフで読んでいて展開が分からず、先が気になる短編集となっています。
ただ、「大人のための残酷な童話」とうたわれているだけあり、残酷な描写・ストーリーだったり、一度読んだだけでは伝えたいことが難解なシーンも散見されたように感じます。
正直意図が不明な描写も多かったですが、その意図不明でシュールな部分も含めて本書の特徴なのかと思われます。(読み込み・理解が不足している可能性もありますが。。)
本書について、個人的には、サルバドール・ダリの絵画のようなシュールな印象を、感覚的に受けました。
■匂ってくるような南米の描写
今まで南米については、カラフルな街並みで明るい陽射しで陽気な国といったイメージを勝手に持っていましたが、そのイメージが覆されました。
本書では多雨でじめじめしてぬかるんだ、寒々しい陰気な南米の一面が描かれています。(前半の短編ではほとんど、そのような描写です)
その描写が鮮烈であったため、物語を読んでいても終始暗くて寒いイメージが頭にこびりついていました。
本書の冒頭の描写を引用します。
雨が降り出して三日目、家のなかで殺した蟹の山のような死骸の始末に困って、ベラーヨは水びたしの中庭を越え、浜へ捨てに出かけた。
昨晩、赤ん坊が夜っぴて高熱に苦しんだが、その悪臭が原因だと思われたからだ。火曜日から陰気な毎日が続いている。
空も海も灰のひと色、三月になれば火の粉のようにきらきら光る砂の海岸までが、腐った貝混じりの泥のスープに成り下がっていた。
「蟹の山のような死骸」という普段あまり目にしない風景描写からは、気味の悪さ、やるせなさ、行き詰まりといった空気感さえ感じ、匂いさえ感じるような本書の空気感の描写は、この絶妙な単語選び・文章の美しさによるものかと思いました。
■おすすめ度
★★★★☆
(独特な文体かつメッセージが難解であるため好みは分かれるとは思いますが、異色な文体に触れてみたい人、ブラックユーモアが好きな人、ダリの絵のようなシュールかつ超現実的な描写が好きな人にはおすすめです)
故郷/阿Q正伝(魯迅著 光文社文庫)
13の短編から成る本著ですが、タイトルにもなっている「阿Q正伝」の読後感が秀逸であったため、そちらを紹介したいと思います。
(タイトルの「故郷」の方は、国語の教科書に掲載されており有名なため、読まれた方も多いのではないでしょうか)
■あらすじ
辛亥革命により清から中華民国に移り変わる過渡期の中国が舞台。
学もなく、金もなく、容姿もよくない、阿Qという村内で笑いものにされている男が主人公。
阿Qは、自惚れが強く人一倍プライドが高く、自分より下と思ったものには厳しい、いわゆる「一癖」ある人物。
前半は、そんな阿Qが、「精神的勝利法」という、実際には負けているに関わらず、勝ったと思い込むことで心の平穏を保つ、独特の思考法を基に、村内の人々と事件を起こしながら営まれていく生活が書かれている。
後半、革命党が近くに来たことをきっかけに、阿Qは軽率に、よく意味の分からない「革命」にファッション感覚で便乗して関連性を誇示する。結果、本人にも状況がよく分からないまま悲劇に向かっていってしまう。。
■特徴
阿Qという癖のある少し変な主人公の、予想がつかない一種独特な動き・思考法に引き込まれます。その器の小ささは徹底しており、滑稽に書かれています。
(実際には周りにいたら嫌ですが、、)
本文中の下記の趣旨の描写が、阿Qの器の小ささをよく表しているのではないでしょうか。
ハゲておりそれを気にしていることから「ロウソク」「明かるい」といった語まで禁句としており、口に出す者がいれば怒り出し、口下手であれば怒鳴り、弱そうであれば手を出すものの、いつもたいてい阿Qがやられてしまう。そこで彼は次第に方向転換して、いつも睨みつけることに改める。(要約)
後半は、革命に関与していることを匂わせて村人達から一目置かれようと、弁髪を頭のてっぺんでグルグル巻きにした(当時の革命家の?)ヘアスタイルにしたり、よく分かっていない「革命」の周辺でを騒ぎ立てており、悲劇に向かっていく様子までも含めて滑稽な描写となっています。
が、最後の最後に阿Qが気が付くシーンで、本書の伝えたい本質が書かれていたような気がします。
■感想
著者の魯迅は、本著を通して「無知」「流されること」の怖さを強く戒めているのではないかと思いました。
「無知」「流されること」は、傍から見れば滑稽でともすればユーモラスにさえ見えるものの、実はとても恐ろしいもので、手遅れになって気が付く性質のものである、と伝えたかったのではないかと思います。
阿Qに教養ないしは知恵があれば、革命に不用意に便乗して騒ぎ立てることの危険性は分かったのではないかと思います。
また、流されることなく一歩立ち止まって「この動きに便乗して大丈夫か?」と立ち止まって考えることができていれば、このようなラストにはならなかったでしょう。
個人的には、ラストで悲劇に向かう阿Qの姿を見て喝采する村人が、私にとっては一番怖く感じました。(阿Qにとっても恐怖の対象として書かれています)
阿Qの一挙一動を見て、時には阿Qを持ち上げ、時には徹底的にこきおろす「村全体の空気」が、「人の悲劇を喝采する」最後の残酷なシーンにつながっており、全体主義とそれに伴う「流されてしまう個人」の怖さが十二分に伝わってきました。
上記テーマから察するに、中華民国成立直後の混沌及び文学革命による古来思想の批判・克服といった時代背景があっての本作なのかと改めて思います。
■おすすめ度
★★★★★
(上記の阿Q正伝だけでなく、国語の教科書に掲載されて有名な「故郷」も年を重ねてから読むと読後感が全然違うため、ぜひ再読をお勧めします)
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(コミック)(浅野いにお著)
タイトルがやたら派手な本書は、現代の東京都を舞台とした、女子高生2人が主人公のSFコミック。
ボリュームとしては、全100話と長すぎもせず短すぎもせずの物語です。
「世界を守るか、それとも自分にとっての「絶対」を守るか」
やや大仰ですが、この表現に響くものがある人にとっては、読んで損は無い漫画だと思います。
■あらすじ
東京都の上空に突如現れた巨大な円盤。
そこから出てくる侵略者と自衛隊、アメリカ軍の戦闘が行われている、そんな状況下で、日常を友人達と和気藹々と過ごす女子高生、中川凰蘭と小山門出の物語です。
■物語の構成・特徴
著者特有の、ほのぼのと不穏が入り混じった独特の進行と、ややブラックジョークがきいた独特のセリフ回しが特徴的です。
序盤は、やや物語の方向性がよく分からないものの、途中から物語の進行が一気に加速するので、ぜひ中盤までは読み進めてみて欲しいです。
内容はやや重めで不穏な空気が漂っているものの、著者の代表作「おやすみプンプン」よりも憂鬱さ・陰惨さは潜めており、キャラクターもポップであることから、比較的読みやすいのではないかと思います。
■テーマ
テーマとしては3.11等諸々の要素が出てくるものの、中盤以降の要所で一番響いたのは「友情」「救済」であり、2人の純心さに心を動かされました。
■マイベストシーン
個人的なベストシーンとしては、個人的には85話のパーキングエリアでの凰蘭と門出のやり取りと思っています。
2人の幸せそうな笑顔が尊く、それまでの道程を思うと救われたような気持になり、涙腺が緩みました。
■所感
結末について、ここでの言及は避けますが、賛否両論ありそうな終わり方かと思います。(個人的には嫌いじゃない終わり方です)
最後に、一見訳の分からない長いタイトルにも意味があるので、中盤以降「なるほど」と思わされます。
(物語の伏線も回収していないようでいて、ある程度回収していって結末には向かっています)
■おすすめ度(最高点は★5)
★★★☆☆
個人的にはとても面白かったです。上記で書いているように、やや独特な雰囲気であることから「とても面白い」という人と「微妙」という人に分かれそうな気がします。
あまり巻数も多くないため、感想を読んでみて「楽しめそうかも」と思う方はもちろん、「自分はどっちだろう?」と思う方もトライしてみてはいかがでしょうか。
冷血(トルーマン・カポーティ著)
読み終わった後、決して明るい気持ちとはならなかったものの、重厚なステーキをたらふく食べた後のような満腹及び満足した気分となった本書。著者の執念さえ感じられる一作。
客観性を捨てて取材対象とあえて積極的にかかわる「ニュージャーナリズム」の源流と言われ、約3年の膨大な資料・データの収集、更に約3年間の整理を経て完成した作品であり、有名な「ティファニーで朝食を」と並ぶカポーティの代表作品。
■あらすじ
1959年にアメリカのカンザス州で実際に起きた富裕農家一家惨殺事件について、被害者、加害者(ペリーとディック)、刑事、周囲の人々等、様々な視点から真相が明かされていく構成となっているノンフィクション・ノベル。
■物語の構成・特徴
・刑事の章⇒犯人の章⇒周辺人物の章、といったようにパラレルに物語が進行。重要なピースや事件当時の内面描写が後半に出てくるので、徐々に真相が見えてくる感じに最後まで引っ張られます。
・丹念に人物描写を掘って積み上げられており、やるせない人間くささに溢れているように感じました。人物描写が細かく、かつ物語の主要人物以外の人物描写も、必要以上かと思われてしまうほど丁寧に書かれています。
■所感
★感想①
思いつきレベルの計画で金品も取らず、ただ残忍に、無関係な善良な一家を殺害した本事件。それに対しての「なんで?」に対して、積み上げられた証言からどのような自分なりの回答を出すかは十人十色と思っています。
読み終わった後も大分もやもやするのですが、自分としては犯行の動機の一因は、ペリーとディックの抱える「怒り」の暴発なのかなと考えています。
(ディックのコメントより引用 文庫P364)
どれもおれにふさわしいものなのに、おれの手に入ることはありそうもない、とディックは思った。おれは無一物だというのに、なんであんなくそったれが何でも持ってるんだ?なんで、あんな“はったり野郎”が運を独り占めしているんだ?おれだってナイフをもたせりゃ、鬼に金棒だ。でないと、“切り裂かれて、運をちょっとばかり床にこぼす”かもしれないからな。
(ペリーのコメントより引用 文庫P526)
「おれは自分から進んで一か八か賭けてみたんだ。それは、クラッター一家が何をしたからってわけじゃなかった。あの人たちはおれを傷つけたりはしなかった。ほかのやつらみたいには。おれの人生で、ほかのやつらがずっとしてきたみたいには。おそらく、クラッター一家はその尻拭いをする運命にあったってことなんだろうな。」
小説を一読すると、それなりに恵まれた環境であるものの常に羨望が巣食っているディックの怒りに対して、辛い境遇を過ごしたペリーの怒りは過去からの積み重ねの結果によるものであり、本人に至ってもよく分からないものとなっています。
このあたりが、小説の主要人物であるディックの「頭が回り行動力があるものの、そこはかとない浅さ」、ペリーの「子供らしいところがあるものの、底知れない怖さ」といったキャラクターの印象に直結しているのではないかと、思われます。
読み終わって、ふと、自分が好きな漫画「ハンターハンター」のゴンのセリフを思い出しました。
「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」
★感想②
悲劇というものは、往々にして偶然の積み重ねと認識されがちですが、上記ペリーの供述にもあるように、「つもりに積もったなにがしかの、最後の一押し」の結果であるという側面もあるのかなと感じました。
なお、このコメントについては、(最終章でほぼ唯一、ペリーに)手を差し伸べてくれたドナルド・カリヴァンの親愛及び著者の本書作成への執念によって引き出した、本書を通したペリーの一番の本音の部分でもあるのかなと思いました。
★感想③
・前半のクラッター家(被害者)のほのぼのとした描写が、やや冗長に感じられるほど細部に渡って書かれています。読んでいた時は「やや長いな」とまで正直思ったものの、前半がここまで細かい描写だからこそ、物語中盤で、前半までは存在していた「ほのぼのさ」が一瞬にして奪われる理不尽さ・衝撃が読み手に強く訴えられているのかと思いました。
■キーワード
理不尽、心の闇、違和感、家庭環境、家族、逃避行、人間性、救い、戦後のアメリカ、ノンフィクション・ノベル、ホワイダニット、インタビュー
■おすすめ度(最高点は★5)
★★★★★
やや読後感は暗いけれど、著者の執念さえ感じられる重厚な人間描写の積み重ねを味わえる一冊。おすすめです。
坊っちゃん(夏目漱石著)
言わずと知れた日本文学の名作。
明治時代に発表された小説であるものの、ユーモラスでテンポが良いため、サクサクと読める大衆小説です。
あらすじとしては、明治時代、無鉄砲でまっすぐな気性の江戸っ子(坊っちゃん)が新任の数学教師として赴任した四国の中学校で、己の心に正直に生きていく物語。
癖のある同僚教師、生徒に囲まれ、様々な事件や人間関係に巻き込まれるものの、損得に捉われず、不器用なまでに一本筋を通して奮闘する坊っちゃんに、心がすかっとします。
(特に日頃から人間関係に悩んでいる方、忖度し過ぎて疲れている方は、自分には出来ない坊っちゃんの振る舞いに、より心が晴れるのではないでしょうか)
■本書の好きな部分①
一癖も二癖もある人物が多く、同僚教師のあだ名も絶妙です。
(まさに、名は体を表したネーミングとなってます)
「赤シャツ」「山嵐」「うらなり君」「野だ(野だいこ)」「マドンナ」etc
特に「赤シャツ」の胡散臭さ感と、野だいこが途中から「野だ」と略されてるところ(小物感)は秀逸です。
これらキャラクターの濃い面々に坊ちゃんが翻弄される心情は、現代社会にも通じる描写と感じました。
■本書の好きな部分②
表現が絶妙にユーモアに富んでおり、特に会話部分登場人物の会話を読んでいるだけでくすっときてしまう部分が多いです。(先述のあだ名も含め)
特に好きな会話は下記です。
(引用)
「あの赤シャツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それから?」
■キーワード
理念、仁義、生き方、人間関係、明治時代、庶民の文化、教師、都会と田舎、四国、祖母の愛、無鉄砲、ユーモア
■おすすめ度(最高点は★5)
★★★★★
コミカルで読みやすい万人向けの大衆小説。
「日本語って面白い」と思わせてくれる小説です。